平成31年4月30日をもって今上陛下は退位され、平成という時代は終わります。崩御以外での御代替わりは約200年ぶりで前例がない部分も多く、国民にとっては初めてのことで、退位後、上皇・上皇后となられる両陛下はどのような生活をされるのか気になります。もう美智子さまには会えないのでしょうか?また陛下の退位の日が迫って来ると共に、美智子さまの若い頃が美人だったとネットで話題になっています。このサイトでは、退位後に美智子さまには会うことはできないのか?美智子さまの若い頃は本当に美人だったのか?をまとめて紹介します。
上皇后美智子さまに会える可能性は数多くある
【美智子さまにお会いできる可能性が高い場所】
・高輪皇族邸にいる期間はお忍びで周囲を散策される機会が増える
・年に一度の桜の季節には皇居の周囲を散策される
・皇居敷地内での毎朝のウォーキングを欠かさない
・高輪皇族邸は広さが限られているので外に出ることが増える可能性がある
・美智子さまにとって実家や母校が徒歩圏内で慣れ親しんだ地域である
・高輪皇族邸での勤労奉仕が行われればご会釈があるかもしれない
・私的なご活動時(美術展・音楽会・那須や須崎の御用邸)
退位後は「二重権威」への懸念から、公務や一般参賀、園遊会などにはほとんど出席しなくなると考えられています。美智子さまの姿を目にする機会は減りますが、お姿を見るチャンスがゼロとは限らないと言えるでしょう。
退位後、皇居・御所から仮住まいとなる高輪皇族邸(旧高松宮邸)に引っ越されます。その後、2020年度中には両陛下が1960年(昭和35年)から1993年(平成5年)までお住まいになっていた今の東宮御所に引っ越され、建物は「仙洞(せんとう)御所」と改称されます。
公務はなさらず、基本的に私的なご活動だけになります。美術展や音楽会に出かけ、私的なご旅行などもされるでしょう。陛下は魚類学者、皇后陛下は音楽家や作家としてのお顔もお持ちですから、これまでより多くの時間をその研究や活動にあてられるでしょう。葉山をはじめ那須や須崎の御用邸などに長期間、滞在される可能性もあります。
美智子さま、代替わり後の住まいの入れ替え
●皇居(千代田区)【改修】
名称は「御所」
1、上皇ご夫妻が転出
●高輪皇族邸(港区)【仮住まい】
2、上皇ご夫妻が転入
●皇居(千代田区)【改修】
名称は御所
3、新天皇、皇后両陛下が入居
●赤坂御用地(港区)【改修】
・東宮御所を改称して赤坂御所
・赤坂御所を改称して仙洞御所
4、改修後、上皇ご夫妻が入居
若い頃の上皇后美智子さまは本当に美人だった
退位後の美智子さまの呼び方は?
2017年6月9日に退位特例法が成立しました。これにより今上天皇の2019年4月30日の退位が実現すれば、同法に基づき皇后美智子の称号は「上皇后(じょうこうごう)」となりますが、歴史的に用いられてきた「皇太后(こうたいごう)」の称号を用いるべきであるとする反対意見も出ているみたいです。
美智子さまの結婚はいつだったのか?
美智子さまこと正田美智子さんが1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて当時皇太子でだった明仁親王と婚約して結婚しました。
平民だった美智子さんが自由恋愛で結婚に至ったことや美智子さんがカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをメディアが報道して話題となりました。その生じた社会現象をミッチー・ブームと呼ばれました。
1959年(昭和34年)4月10日の結婚式と生中継されたパレードで、ミッチー・ブームは頂点に達しました。皇居から渋谷の東宮仮御所までの8.18キロを4頭立ての馬車が目抜き通りを走りました。パレード沿道には、53万人の群衆が詰めかけたようです。
まとめ
平成31年は美智子さまが結婚してから30年目にあたります。退位後は、上皇后美智子さまと呼ばれるようになり、仮住まいの高輪皇族邸に転居されます。お会いできる可能性があるのは、高輪皇族邸(東京都港区)の周辺地域や私的なご活動をされる時(美術展・音楽会・御用邸)です。美智子さまのお姿を見ることで皇室の安定と思っていた私たち国民。美智子さまの奇跡は令和という新しい時代に受け継ぐことでしょう。